佐々木は下着姿でカーペットの上に頭を北に仰向けに倒れており、座布団やバスタオル、シーツをかぶせられていた。死後5、6日で失血死であった。凶器の包丁は台所の流しの上に置かれており、隣の4畳間のテーブルの上には「おとうさん、わたしもおとうさんのそばに行きます、でもわたしがおとうさんをころすなんてゆめにもおもわなかった、あのよでふたりでやりなおそうね」と遺書が残されていた。創成していた女性は9月2日、犬を病院へ預けるのを更新する措置をして以来、消息が不明となっていた。
大川興業に所属していたピグモン勝田がこの事件現場のマンションをたまたま格安な家賃で借り、夜な夜な心霊現象に悩まされていた。
勝田は、1994年10月、大川興業は埼玉県の新座ニチイ(のちのサティ。現イオン)の店頭広場に設けられた特設舞台で「花火」と題したパフォーマンス公演を行っていたが、途中で舞台を降り敷地内のケヤキの木にサルのような動きをしながら登ったところ、ぶら下がっていた枝が根元から折れて転落し後頭部を強打し、病院に収容されたが翌朝死亡した。享年29。
未だアパートは現存している。
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